大判例

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京都地方裁判所 昭和41年(わ)898号 判決 1970年5月22日

主文

被告人を罰金参万円に処する。

右罰金を支払うことができないときは金一〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場へ留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四一年七月六日午後七時頃から同九時頃までの間、総評京都地評の主催により京都市東山区円山公園を起点とし、同市左京区仁王門疏水浜上るまで行なわれた、日米貿易経済合同委員会反対、ラスク入洛抗議関西総決起デモに京都府学連傘下学生多数とともに参加したものであるが、右デモの解散地点から、さらに、ラスク米国国務長官一行の宿舎である同市東山区粟田口華頂一番地所在都ホテルまで無許可のデモを敢行することを企図し、同日午後七時頃、前記円山公園内において、多数の学生集団に対し、「これからのデモは、東山三条から三条通りを通つて都ホテルへ行くように許可申請を出したのであるが、警察は、東山三条を曲つて仁王門から疏水浜へ行くように一方的に変更してきた。われわれは断固として東山三条を突破して都ホテルへ行くことを確認したい。東山三条ではおそらく敵の厚い壁が待つていると思うが、断固としてこれを打ち破つて都ホテルに向かつて進むことを確認する」旨申し向けて無許可デモの実行を煽動し、次いで同九時三五分頃、前記仁王門疏水浜路上において、約五〇〇名の学生に対し、「隊列を九列から一〇列に組み、東山仁王門を通り、三条通りを経て機動隊の阻止線を突破し都ホテルに行こう」旨申し向けたうえ、右手を振つてデモ隊の発進を指示し、よって、同学生らをして同日午後九時四〇分頃から同一〇時頃までの間、前記仁王門疏水浜路上から仁王門通り、東山通り、三条通りを経て三条通神宮道交差点付近まで、京都府公安委員会の許可を受けないで集団行進、集団示威運動を行なわせ、もつて前記公安委員会の許可を受けない集団行進、集団示威運動を行なうことを煽動するとともにこれを指導したものである。

(証拠の標目)<略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人の主張

一、(1) 本件デモに関連して、あらかじめ次の二つの許可申請手続がとられていた。被告人らの本件デモのコースは右申請のデモコースの一部にあたる。

(イ)  総評京都地方評議会では、次のようなデモを実施する計画をたてた。

(主催者) 総評京都地方評議会

日本社会党京都府本部

日本共産党京都府委員会

(実施日時) 昭和四一年七月六日夜

(コース) 円山公園―(東山通)―東山三条―(三条通)―都ホテル(長官宿舎)

そして、地評事務局長谷内口浩二がその旨の許可申請書を市条例にのつとつて提出した。

(ロ)  同志社大学自治会では、次のようなデモを計画した。

(主催者) 後藤信男

(実施日時) 昭和四一年七月六日夜

(コース) 円山公園―(東山通)―東山三条―(三条通)―都ホテル―岡崎グラウンド

そして後藤信男が同月三日頃、市条例にのつとり所轄署である中立売警察署を介して京都府公安委員会に対し許可申請書を提出した。右申請書は形式的要件を完備した適式のものであつた。

(2) 右二件の許可申請案件について、京都府公安委員会は今日に至るもなおこれに対する許可又は不許可の決定をなさず、或いは少なくとも市条例六条二項ないし四項所定の手続を履践していない為、主催者等の関係者にとつては決定の有無を知ることができない。

(3) 而して、このような場合にあつては、デモの申請は、法的には許可されたものとして、又は当該デモが市条例違反の無許可のものではないとして、評価される必要がある。蓋し、市条例はデモ等の申請案件については原則として許可しなければならないものとしておるのであるから、許可・不許可のいずれの決定をもみない場合は原則にのつとる評価がなされるのが当然である。

(4) したがつて本件デモは許可されたものである。或いは少なくとも、これを無許可であるとしてその指揮者に刑罰されないデモである。

尚、本件デモで問題となる部分は、疏水浜から三条通神宮道までの間であるから、前記二件の申請コースとは異なる。然し乍ら、このような結果になつたのは、被告人らのデモが円山公園から東山三条を経て都ホテルへ向かおうとした際、多数の警察官により不法・不当に実力阻止されたため、止むなく本件の如き迂回路がとられたにすぎず、違法性がない。

二、(1) 京都府公安委員会及び京都府警察本部は、会議場である国立京都国際会館及びラスク国務長官の宿舎である都ホテルの周辺半径約二粁にわたる一円をデモ禁止区域と定め、この区域におけるデモ、殊に会議の開催に反対する趣旨のデモは許さず、市条例による許可を与えない方針をかためていた。しかもこの方針は、新聞等のマスコミや、デモ計画者と府警とのいわゆる事前接渉のやりとりなどを通じて、次第に京都市民にあまねく知れわたるところであつた。

(2)このように、公安委員会及び府警があらかじめ一定のデモ規制区域を設定し、域内における反対派デモはすべて不許可となし、これに反する者を取締る方針を定めることは勿論違憲であり、本件市条例をどのように拡大解釈しようとも許されないところである。

(3) かかる事情があるときに、尚、右違法の規制に抵触するデモを主催しようとするものは、やはり条例所定の無駄に終ることの明白な手続をとらなければならないのであろうか。その手続による不許可とされるとわかつている結論をまって、次善の対策を考えていたのでは、思想表現の時機を失してしまうかも知れない犠牲を承知のうえで、その手続をふまなければならないのであろうか。

思想の表現が本来的に自由と考えられ、その自由は最も尊重されなければならないものとして位置づけられているという本質論に立ちかえつておもうならば、右のような明白に違法な方針が公権力のにない手から明らかにされている本件のような場合には、もはや条例による手続的規制に服す必要がないものと解すべきである。

判断

一、弁護人の主張一について

1  先ず弁護人主張の一、(1)(イ)の許可申請手続に関する部分について考察する。

弁護人の前記のような、公安委員会がデモの許可申請に対して許否の決定をしなかつた場合には、当該申請にかかるデモは許可されたものとして取扱われるべきであるとの所論を前提にしても、本件において公安委員会が許可を与えたと見做されるのは、右の手続によつて許可申請したデモ、すなわち、右申請の際、提出された申請書に予定されたデモに限られるものと解すべきである(公安委員会が甲団体のするデモ許可申請に対して、これを許可したからといって、甲団体の行なおとする日時・場所におけるデモが、直接許可申請をしていない全ての者の関係においても一般的に許可されたことになるわけではない。何故ならば、前記京都市条令第四条は許可申請は主催者である個人又は団体の代表者がなすものとし、許可申請書にはデモの主催者、或は連絡責任者、参加予定団体およびその代表者、参加予定人員等を記載せしめることを定めているからである。只、甲団体が公安委員会の許可を得てデモをするにあたり、甲団体の申請手続では予定されず、且、独自にも許可申請手続をしていない乙団体がこれに加わつても、全体として甲団体のデモと評価され得る場合―もとより甲団体のデモに附されたいわゆる許可条件は乙団体をも規制する―には、すなわち乙団体のデモも甲団体のデモに包摂される限り、いわゆる無届デモにはならないのである)。すなわち、右の場合許可されたものと見做すべきデモは総評京都地評らを主催者とするデモである。そこで問題は被告人らの本件デモが右申請にかかるデモに該るか否かに帰するわけであるが、証人谷内口浩二の当公判廷における供述、ならびにに前掲湯浅佑一作成の捜査関係事項照会回答書によると、右総評京都地評らの計画したデモには被告人らの参加は予定されておらず、且、右諸団体は、右申請にかかるデモが、事実上京都府公安委員会の許可しないところとなつたためこれを行わず、これに代り、別途の手続を経、同委員会の認めるコースでデモを実施していること、被告人らの本件デモは右主催団体らの意思および行動と関係なく全く独自に行なわれていることが認められるのであつて、右事実によると被告人らの本件デモは右申請にかかるデモとは関係なく行われたものと認めざるを得ないのである(前記設例によつて考えると、本件の場合、そもそも許可を得た甲団体のデモが行われず、これと無関係な乙団体が偶々、甲団体の予定した日時、場所でデモを行つたという事例である。斯様な場合には乙団体のデモは無届デモに該るのである。)

従って、弁護人の所論を前提にしても、被告人らの本件デモは無届デモといわなければならない。

2  次いで弁護人主張一(1)(ロ)の許可申請手続に関する部分について考察する。

第一一回公判調書中証人後藤信男の供述記載によると、右許可申請は、その当否はさておき、そのままでは所轄警察署が受理しなかつたため、結局は後藤において、右申請を撤回したものと認められる。従って、その余の点について述べるまでもなく弁護人のこの点の主張は採用し難い。

二、弁護人の主張二について

弁護人主張のように、仮に、本件当時、京都府公安委員会の示した特定地域におけるデモの一般不許可の事前告知が違憲、違法の取扱いであるとしても、その違憲・違法性はまさしく、そのような既定方針のもとで、具体的個別的に行われた公安委員会の不許可処分を対象にして法定の手続で公権的に判断確定されるべき筋合のものである。弁護人は本件における如く不許可になることが明白である場合にも許可申請手続を要求するのは全く無駄であるというが、不許可処分を争う手段がないのなら格別、そのような手段がある以上、先ず採り得べき全ての途を尽すべきである。そうしたのち、なお、不許可処分が維持される以上、これに従うべきは論を俟たないが、万々、不許可決定に反し、いわゆる無届デモを敢行しても、のちに右不許可処分が違憲違法のものとして、その効力が否定されれば、無届デモの違法性、或いは可罰性が阻却される場合も考えられるのであるから、右の許可申請手続をふむことは決して無駄でもなく、また、思想表現の機会を失することにならないことも明らかであろう。

してみると、本件におけるように京都府公安委員会の右のような一般的不許可の態度を違憲違法のものと即断し、所定の手続を経ることなく、いわゆる無届デモを行うことは到底容認し難いところである。また本件デモに関しては公安委員会の不許可処分があつたわけでもないから、その違憲違法を論ずる前提を欠くのである。

よつてこの点の弁護人の主張も採用し難いところである。

(法令の適用)

昭和二九年京都市条令第一〇号(集会、集団行進及び集団示威運動に関する条令)二条、九条一項(罰金刑選択)

刑法一八条

刑事訴訟法一八一条一項但書(蒲原範明)

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